2008年10月23日
「狂い」のすすめ(2)

【「狂い」のすすめ】を読んで。
前回 10月19日
http://kings-cross.info/archives/431630.html
大半の日本人にとって、“経済”は進学、就職、結婚といった選択の際のものさしであると思う。
そのものさしに宗教や倫理観、そして道徳心が備わっていれば、ここまで日本社会は狂わなかったのかもしれない。
とことん稼いでその無力さを知る人、追いかけて手に入れられなくて社会を呪う人。
今回の金融市場の荒れた状況の中で、
「アメリカが悪い」
といったニュースのコメントには辟易するけれど、
「今回の件を教訓にできればいい」
といった言葉は、もっと強くアナウンスしてもいいと思う。
“経済”をものさしに生きてきたのなら、その“経済”の本質を知ることで学びを得られるのかもしれない。
「私はお金によって何を手に入れたいのか?」
「私は何をしてお金を得たいのか?」
「私はどれだけのお金が欲しいのか?」
財布や通帳の中身より、自分の心の中身を見てみるにはよい時期だと思う。
“経済”をものさしに生きてきた人が、“経済”から目を背けることは、それまで信じてきた教祖に背を向けることと同じくらいに難しく、拠り所を失ってしまうかもしれない。
【“「狂い」のすすめ】にあるように狂へる人は狂ったほうがいい、と私も思う。
「お金は何かと交換するチケット」
くらいに思ってみることから始めてみてはどうだろう?
「お金を稼ぐ」ことも「お金を使う」ことも楽しいことではあるのだから。
【でろ〜ん 〜世を捨てて16年目です〜】

-------------------------------------------------------------------------
【3 狂者の自覚】
『−狂者の自覚−を提案したい。「弱者の自覚」と実質は同じなんですが、むしろ自分は狂者なんだと自覚したほうがよい。そのほうが卑屈にならずにすみそうです』
【5 あとは死ぬだけ】
『日本人もアメリカ人も、「経済、経済」ばかりを言っています。狂ってると思いませんか』
『一休禅師は、そのように狂っている日本人に向かって、「ただ狂へ!」と呼びかけたのです。狂っている世の中で狂うことが、まともになれる道なんです。まともになるということは、「金・かね・カネ」の狂奔をちょっと醒めた目で眺める心の余裕を得ることです。そうすると自由人になるのです』
『日本の企業においても、社員の人格までも管理しようとする傾向が強い。これは日本の企業の管理者に奴隷根性の持ち主が多いから、自分が奴隷であるから、社員まで奴隷にしたいのですね。そして、奴隷になっている社員がまじめでいい社員と評価されるのです。日本はそういった狂った社会です。狂った社会に忠誠を誓えば、その人は奴隷になってしまう。だから、狂った社会にあっては、こちらが狂う以外に自由人になることはできません』
『仏教の場合、釈迦の教えは、基本的に、−出世間の教え−です。世間を捨てるのが仏教の本質です。世捨人なんです。この“世捨人”といった言葉、みずから積極的に「世を捨てた人」の意味ですが、読みようによっては「世から捨てられた人」とも読めます。どちらでもいいと思います。世を捨て、世から捨てられる。つまり、世間のほうから「狂者」の烙印を押され、相手にされなければいいのです。なにも世間を相手に闘う必要はありません』
-------------------------------------------------------------------------



