2008年09月19日
皮膚から入るマイナスの空気
【本日のBGM】
“イチロー×落合名言集”
時代−中島みゆき
◆イチロー8年連続200本安打達成!
イチローと一問一答
スポーツニッポン 9/19より引用
――苦しいシーズンだったのでは。
ずっと恐怖との闘いだった。何としても(記録達成を)外せない年だったので、ゼロ(安打)の段階から強く意識しなくてはいけなかった。できないかもしれないという恐怖は常にあった
〜中略〜
――チームの不振とも戦う必要があった。
(秘けつは)クラブハウスから早く出て行くこと。マイナスの空気っていうのはどうしても皮膚から入ってくる。悪い方に流れることだけは絶対にしないという信念を持ってやっている。これまでよりも、もっと僕の世界をクラブハウスの中でつくり上げた
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「和をもって尊しとなす」という福沢諭吉の言葉は、発祥の地日本において“誰とでも仲良くしましょう”と定義されているけど、そこにはややズレがある。
昨年、モバイル関連の会社を立ち上げられた40代の方とお話しさせて頂いた。
取引業者・スタッフとの関係性について、共感させて頂いたのが以下の言葉。
「ツキがある企業、人はツキがある企業、人を引き寄せる。逆もまたしかりで、ツキがない企業、人はツキがない企業、人を引き寄せる。」
冷酷、冷たい・・・。
表向きはそうかもしれないけれど、そこには因果関係があると思う。
“仲良しこよし”な感覚で仕事をすると、妥協・妥協・妥協の連鎖反応が起こる。
それは1kmのウォーキングもやっとの体力しかない人が、毎日10kmジョギングしている人と一緒に駅伝を走るようなもの。
完走すればいいのか?
目標タイムは?
順位は?
優先順位の逆転現象が起きる。
組織としての目標達成からぶれてしまってはやる意味がないし、能力あるものの意識を下げ、企業として、個人としての成長という機会をも逸してしまう。
そうならないためには、個人個人の権限・責任を明確化する必要があるし、それぞれが自分の今を認識した上で組織に貢献し、能力を磨き、切磋琢磨しようという環境が重要になる。
そういった努力を継続した結果、【個人・組織に結果が伴う→実績が自信を与える→行動・姿勢・言動を変える→周囲によい印象→さらなる結果へ】というプラスのスパイラルに入っていく。
イチローが所属するマリナーズは、ここ数年負のスパイラルに陥っているチームだと思う。
その中でチームから距離を置き、自分の能力をフルに発揮できる環境を作ることにも取り組んだ。
自分自身との戦いと自分が所属するチームとの戦いも含まれていた今年のシーズン。
その中での200本達成は、例年以上の価値があると思う。
そして、築き上げた200本という数字は、チームにおいても貢献するものであったと思う。
↓↓↓アメリカでの評価↓↓↓
【イチローの8年連続200安打、米メディアは冷淡】
読売online 9/19
http://www.yomiuri.co.jp/sports/mlb/news/20080919-OYT1T00420.htm
以下、関連・参考記事ブログ
◆プロコーチのコーチング日記
http://plaza.rakuten.co.jp/amatels/diary/200705050000
「和」を持って尊しと言ったのは、聖徳太子だが、ある本を読んでいて、目からうろこが落ちた。「和」というのは意見の違う人たちと波風を立てずに妥協し、調和したふりをすることではないということです。
個々がこの部分は納得できないが、などど、腹に一物もって妥協することではないのです。日本人は多くの人がそう勘違いしていると私は思います。私も含めて。
「和」の本当の意味は、自分の中に正直に、自己に正直に生きるということ。
自分を裏切らないということです。
不平不満があれば、正直に表現してぶつけ合うこと。悶々としておべっかいって、言いたいことも言わないというのは間違い。
その中でお互い歩み寄り(妥協ではない)理解していくことが「和」である
◆おじさんは楽しいのだ
http://blogs.dion.ne.jp/jj8wqc/archives/4082011.html
聖徳太子の有名な言葉。「十七条憲法」の第一条です。なによりも、「和」の精神が大切ということですが、単に「みんな仲良くしましょう」という意味ではなく、この「和」には仏教の理想がこめられているのだといいます。
この「和」には「仏教の理想を実現しようと努力する人々の集団」といった意味合いがあるそうです、なんらかの目的意識をもってみんなで行動する、という非常にポジテブなニュアンスがあります。
会社や其の他の組織、あるいは家族や友人同士のあいだでも、自分のこだわりを捨てて相手と接触しなければ、トラブルがおこるばかりで物事は前に進みません。
この職場、あるいはこの関係をこうありたい、という理想を描いたら、あとは自分を捨てて人と接する、それが「和」ということなのです。それは人にお世辞をいうとか、調子を合わせるといった小手先のことではありません。
自分本位でない理想を思い描いて、まわりのみんなが幸せになる道を模索し、それを社会へ、世界へと広げていく、それが聖徳太子がいわれる仏教的な理想なのだと思います。
◆永谷研一オフィシャルウェブサイト
http://www2.netman.co.jp/nagaya/2008/03/post_316.html
中国人の友人の社長が言いました。。
「今の日本人は何も怖くない。バラバラだから。でもひとつだけ怖いことがある。
今の日本人がチームワークを思い出したとき。」
そうなんです。“和をもって”、チームワークや地域を復活させることは、横並びや仲良しクラブやるって意味ではないんです。ある意味その逆で、1人1人が自律し、プロジェクトに所属し、”役割”を持ち、プロフェッショナルにその責務を全うするという、“自由競争主義”の世界なんです。ちょっと理不尽なことがあっても、そこは“役割”と“身分”というもの認識し、家長の意思を実現するため、覚悟をもって職責を全うする、イキイキ働く、真剣な人間関係のチームの一員なんです。
◆【できなかったときめつける声が充満している教員室にはいないようにしました】
マルバ・コリンズ女史
「どうすれば、子どもたちに自信をもたせることができるのですか?」
マルバ女史はこう答えた。
「まず私は、子どもたちがあれもできなかった、これもできなかったときめつける声が充満している教員室にはいないようにしました。本当にお手上げだという子どもはいません。親や教師が、子どもにできないと言い続けるからできないのです」
“イチロー×落合名言集”
時代−中島みゆき
◆イチロー8年連続200本安打達成!
イチローと一問一答
スポーツニッポン 9/19より引用
――苦しいシーズンだったのでは。
ずっと恐怖との闘いだった。何としても(記録達成を)外せない年だったので、ゼロ(安打)の段階から強く意識しなくてはいけなかった。できないかもしれないという恐怖は常にあった
〜中略〜
――チームの不振とも戦う必要があった。
(秘けつは)クラブハウスから早く出て行くこと。マイナスの空気っていうのはどうしても皮膚から入ってくる。悪い方に流れることだけは絶対にしないという信念を持ってやっている。これまでよりも、もっと僕の世界をクラブハウスの中でつくり上げた
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「和をもって尊しとなす」という福沢諭吉の言葉は、発祥の地日本において“誰とでも仲良くしましょう”と定義されているけど、そこにはややズレがある。
昨年、モバイル関連の会社を立ち上げられた40代の方とお話しさせて頂いた。
取引業者・スタッフとの関係性について、共感させて頂いたのが以下の言葉。
「ツキがある企業、人はツキがある企業、人を引き寄せる。逆もまたしかりで、ツキがない企業、人はツキがない企業、人を引き寄せる。」
冷酷、冷たい・・・。
表向きはそうかもしれないけれど、そこには因果関係があると思う。
“仲良しこよし”な感覚で仕事をすると、妥協・妥協・妥協の連鎖反応が起こる。
それは1kmのウォーキングもやっとの体力しかない人が、毎日10kmジョギングしている人と一緒に駅伝を走るようなもの。
完走すればいいのか?
目標タイムは?
順位は?
優先順位の逆転現象が起きる。
組織としての目標達成からぶれてしまってはやる意味がないし、能力あるものの意識を下げ、企業として、個人としての成長という機会をも逸してしまう。
そうならないためには、個人個人の権限・責任を明確化する必要があるし、それぞれが自分の今を認識した上で組織に貢献し、能力を磨き、切磋琢磨しようという環境が重要になる。
そういった努力を継続した結果、【個人・組織に結果が伴う→実績が自信を与える→行動・姿勢・言動を変える→周囲によい印象→さらなる結果へ】というプラスのスパイラルに入っていく。
イチローが所属するマリナーズは、ここ数年負のスパイラルに陥っているチームだと思う。
その中でチームから距離を置き、自分の能力をフルに発揮できる環境を作ることにも取り組んだ。
自分自身との戦いと自分が所属するチームとの戦いも含まれていた今年のシーズン。
その中での200本達成は、例年以上の価値があると思う。
そして、築き上げた200本という数字は、チームにおいても貢献するものであったと思う。
↓↓↓アメリカでの評価↓↓↓
【イチローの8年連続200安打、米メディアは冷淡】
読売online 9/19
http://www.yomiuri.co.jp/sports/mlb/news/20080919-OYT1T00420.htm
以下、関連・参考記事ブログ
◆プロコーチのコーチング日記
http://plaza.rakuten.co.jp/amatels/diary/200705050000
「和」を持って尊しと言ったのは、聖徳太子だが、ある本を読んでいて、目からうろこが落ちた。「和」というのは意見の違う人たちと波風を立てずに妥協し、調和したふりをすることではないということです。
個々がこの部分は納得できないが、などど、腹に一物もって妥協することではないのです。日本人は多くの人がそう勘違いしていると私は思います。私も含めて。
「和」の本当の意味は、自分の中に正直に、自己に正直に生きるということ。
自分を裏切らないということです。
不平不満があれば、正直に表現してぶつけ合うこと。悶々としておべっかいって、言いたいことも言わないというのは間違い。
その中でお互い歩み寄り(妥協ではない)理解していくことが「和」である
◆おじさんは楽しいのだ
http://blogs.dion.ne.jp/jj8wqc/archives/4082011.html
聖徳太子の有名な言葉。「十七条憲法」の第一条です。なによりも、「和」の精神が大切ということですが、単に「みんな仲良くしましょう」という意味ではなく、この「和」には仏教の理想がこめられているのだといいます。
この「和」には「仏教の理想を実現しようと努力する人々の集団」といった意味合いがあるそうです、なんらかの目的意識をもってみんなで行動する、という非常にポジテブなニュアンスがあります。
会社や其の他の組織、あるいは家族や友人同士のあいだでも、自分のこだわりを捨てて相手と接触しなければ、トラブルがおこるばかりで物事は前に進みません。
この職場、あるいはこの関係をこうありたい、という理想を描いたら、あとは自分を捨てて人と接する、それが「和」ということなのです。それは人にお世辞をいうとか、調子を合わせるといった小手先のことではありません。
自分本位でない理想を思い描いて、まわりのみんなが幸せになる道を模索し、それを社会へ、世界へと広げていく、それが聖徳太子がいわれる仏教的な理想なのだと思います。
◆永谷研一オフィシャルウェブサイト
http://www2.netman.co.jp/nagaya/2008/03/post_316.html
中国人の友人の社長が言いました。。
「今の日本人は何も怖くない。バラバラだから。でもひとつだけ怖いことがある。
今の日本人がチームワークを思い出したとき。」
そうなんです。“和をもって”、チームワークや地域を復活させることは、横並びや仲良しクラブやるって意味ではないんです。ある意味その逆で、1人1人が自律し、プロジェクトに所属し、”役割”を持ち、プロフェッショナルにその責務を全うするという、“自由競争主義”の世界なんです。ちょっと理不尽なことがあっても、そこは“役割”と“身分”というもの認識し、家長の意思を実現するため、覚悟をもって職責を全うする、イキイキ働く、真剣な人間関係のチームの一員なんです。
◆【できなかったときめつける声が充満している教員室にはいないようにしました】
マルバ・コリンズ女史
「どうすれば、子どもたちに自信をもたせることができるのですか?」
マルバ女史はこう答えた。
「まず私は、子どもたちがあれもできなかった、これもできなかったときめつける声が充満している教員室にはいないようにしました。本当にお手上げだという子どもはいません。親や教師が、子どもにできないと言い続けるからできないのです」

